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あれから1年

2012年03月11日
1年前の今日、3月11日金曜日。

まだインドネシア大学のBIPAに通っていた私。


12時半で学校が終わって帰る電車の中で、地元の友人のツイートから日本で
地震があったことを知った。

でもあんなことになってるとは微塵も思わなかった。

電車の乗り継ぎ時間にインドネシア人の友人から来たBBMで、初めて津波が
起こったことを知った。


インドネシア人まで知ってるって、どういうこと??


とりあえずダンナにメールを送って、日本の両親に電話をすると、名古屋は
特に被害はないという。

それでも状況がよくわからず、家に帰ってすぐテレビを点けると、そこには
想像もしていなかった惨劇が映し出されていた。

それから夜まで、インドネシア人の友人からひっきりなしにくる

「日本の家族は大丈夫か!?」

というBBMやメールに返信をしていた。

ダンナからの返信メールはなかったけど、テレビからの情報と両親からの情報で
とりあえず私の家周辺では被害がないことがわかっていたので放っておいた。


インドネシア在住の私の日本人の友人は、結構仙台周辺の出身者が多く、むしろ
その人たちの家族のことの方が心配だった。
連絡が取れない、避難したのかどうかもわからない・・・

数日後に連絡が取れて無事だったというツイを読んで、本当によかった!!と
胸をなでおろした。

ただその反面、毎日増えていく犠牲者の数を見ては心が傷んだ。


その翌週、インドネシア大学文学部でもこの地震の為のチャリティー講演が
行われ、日本人代表として私はもう一人の学生と二人でスピーチをした。

学校の友人の中には、毎日朝から晩まで流されている日本の災害のテレビばかり
観ていて半ばおかしくなりかけている子まで出ていた。


そんな中、日本から遠く離れたインドネシアにいる自分に出来ることは何か、
を考えて、ビデオメッセージを作ることにした。

実際のところ、私の作ったビデオは被害に遭った誰かを少しでも勇気付ける
ことが出来たんだろうか?

ただの自己満足で終わってしまったかもしれない。

でも少なくとも、インドネシア人がどれだけ日本のことを考えていたかは
わかってもらえたと思ってる。

1年経った今でも日本から来た、というと必ずあの時家族は大丈夫だった?と
訊かれる。
それだけインドネシア人にとっても強烈な出来事だったという証拠だ。


自然災害は防ぐことが出来ない。
でもそこから派生する二次災害は防ぐことが出来る。

今でも精神的にトラウマを抱える人たちは沢山いると聞く。
放射能汚染の心配も消えてはいない。

日本と同様、地震大国と言われているにもかかわらず、インドネシアという国は
災害に対しての意識が薄すぎる。

普段ここで安穏と生活している私も、もう一度災害時にどうしたらいいかを
色々考えてみる必要がありそうだ。


その前に、まずはあの震災で亡くなられた方たちにお悔やみを、被害に遭われた
方たちにお見舞いを再び申し上げたいと思うのと共に、1日でも早い復興が
なされるのを祈ってやまない。



前述のビデオです。地震発生翌週から撮り始めたものだったので、情報がまだ
錯綜していました。「Message from Indonesia 〜 Pray for Japan 〜



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